タイ・カンボジアの陶磁器・民族衣装など歴史的遺産の宝庫・ヨコタ博物館

※1:設計から施行まで一人で完遂
※2:完成したヨコタ南方民族美術館
※3:バンチェン遺跡発掘現場

博物館の創設

はじまりは、たった三つの土器

1969年、ラオスに滞在中の故横田正臣館長が現地人より購入した三つの土器。帰国後、早稲田大学名誉教授・黒木三郎氏を経て同大学名誉教授・櫻井清彦氏により、これらの土器が当時まだ考古学的にほぼ白紙の状態であったタイ・バンチェンから出土した彩文土器であることが判明。この土器の持つ歴史的背景の奥深さや独特の美しさに魅入られたことから、後40年近い歳月を日本とタイなどを行き来しつつ、タイ・カンボジア・ビルマ・インドなどの東南アジアの陶磁器・民族衣装・祭礼具・楽器など、生涯をかけての多岐に渡る収集を行うに至りました。

たった一人で創った博物館

『こうした歴史的収蔵物は、広く一般に公開してこそ意味がある。文化的な宝として守れるところで守り、多くの人々の目に触れることにより文化的交流の一役を担うことに存在意義がある』 故横田館長はその強い思いから、1974年4月29日。愛知県の南設楽郡鳳来町(現新城市)に『ヨコタ南方民族美術館』を開設。この博物館は、廃校となった阿寺小学校を故横田館長自らがたった一人で工事、内装から展示ケースに至るまで全て作り上げた、まさに手作りの博物館でありました。

博物館は誰のものか

1983年に当時の愛知県知事・豊川市の市長に招かれ、豊川地域文化広場に『ヨコタ南方民族美術館』は移設しました。しかし、当時の豊川地域文化広場での環境は、『博物館は来館されるお客様にとって意義があり、またお客様が十分に寛げ、満足できる、あくまでお客様の為のものでなくてはならない』と考える故横田館長にとって十分であるとは言えず、理想の博物館を求め、1988年3月27日、愛知県南設楽郡作手村(現新城市)に現在の『ヨコタ博物館』が開設し、今日に至ります。

博物館の取組み

あるべきものを、あるべき場所へ

カンボジアでは、長く続いた内戦の混乱により、多くの文化遺産の多くは破壊され、また国外へと流出しました。カンボジアの元文化大臣ヌット・ナラン氏がヨコタ博物館を訪れられたのを機に、「カンボジア国内が、文化遺産を保護・一般に公開する環境が整っている状態ならばと、ヨコタ博物館のカンボジアに関する収蔵物を『里帰り』させ、やがて日本とカンボジアの国交が盛んになった暁に、多くのカンボジアの人々とカンボジアを訪れる多くの日本人が、カンボジアの博物館でこれらの収蔵物を目にし、互いに交流を深めることができたならどんなに素晴らしいだろう。」と故横田館長は考えるようになりました。惜しむらくも館長が存命中に実現することはできませんでしたが、その遺志は息子である新オーナー横田毅氏に受け継がれ、2002年12月にカンボジア王国にクメール陶磁器50点を寄贈が実現。それらの陶磁器は、現在カンボジア王国の国立博物館で訪れる人々の注目を集めています。

以下は、カンボジア王国議会から招待された際、ヌット・ナラン氏が新聞に寄稿された記事の抜粋です。

館長の印象は、こころの広い、また理想の高い人物であり、文化遺産を愛する気持ちが強く、そこに保管されているものはどんなものであれ同じように大切にされておられ、展示物はいずれもここで蘇り、それが造られた時代や文化を伝えるという役割をうまく果たせている。これを見て、こういった文化財はそれがどこの国に保管されているかということよりも、どれだけ大切に保管されているかということが大事だということをつくづく感じた。…(中略)…これまでカンボジア人にかわって文化遺産を愛してくださり、そして大切に保管してくださったことに対して心より感謝し、お礼を述べたい。そして館長の偉業を、我々カンボジアの文化を回復させるための参考とし、カンボジアにおいてわずかに残っている文化遺産を後世に伝えられるように努めたい。

フン・セン首相に陶磁器を手渡す正臣氏

お互いの顔が見える援助『支援する会』

※1:メオ族の授業風景
※2:手から手へ、人と人との心の通う支援
※3:学生からのお礼の手紙

当時、タイでは貧困から学校へ通えない子供達が多く、『タイの中学校は義務教育ではなく、バンコク市内で7〜8割。田舎へ行くに従い低くなり、国境付近では一割そこそこの進学率でしかない。』 という事実をタイの知人から聞いた故横田館長は非常に驚き、日本の知人と数人でなんとかタイの子供達を援助できないかと奔走した結果、『500バーツ運動』を開始。この運動は、子供一人の一年間の学費にあたる1,000バーツの半額を援助するというものです。

手から手へ、人と人との心の通う支援故横田館長がこだわったのは、『互いの顔が見える援助』。援助金を直接現地へ館長自らが運び、実際に援助対象の子供に直接会って手渡しするというものです。これは、大きな支援団体へ寄付しては実際の使用用途がわからないことと、大きな団体が同じことをしようとすると莫大な経費がかかること。そして何より、人と人との心の交流を大事に考えたところに寄ります。

学生からのお礼の手紙この運動は、口コミやマスコミに取りあげられることにより、いつしか大勢の協力者の方々に恵まれ、輪が広がり、1988年に『タイ中学生を支援する会』が設立され、1999年にタイ国内で新たに『基金』が設立されたことにより終了するまでの12年間で、支援総額10,327,500円・援助して頂いた日本人(在日外国人含む)延べ992人・支援したタイ中学生1723人・70kmもの遠方より学校に通う学生達の為に建築した中学校の寮合計5棟となりました。

支援金を渡す為の旅費及び宿泊費は故横田館長の自費で賄われ、援助者の方々の援助金は、経費等一切引かれることなく、全額タイの子供達に手渡されたのです。