タイ・カンボジアの陶磁器・民族衣装など歴史的遺産の宝庫・ヨコタ博物館

《 第一号 》
創刊によせて/土器/メオ族のパイプを求めて

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創刊によせて

一九七七年、鳳来町、阿寺の廃校跡にヨコタ南方民族美術館を設立。当時から、訪れてくれる見学者と館側のコミュニケーションをはかるためにも、友の会だより発行を考えていたのです。ところが、雑事に加え筆無精、なかなか発行にこぎづくことができませんでした。

その後、、ヨコタ南方民族美術館は、豊川市へ移転したものの、友の会だより発行の夢はそのままになっていました。十二年目にして、ようやく作手村のヨコタ博物館において発行することになり、喜びの感にたえません。つねづね私は、見学者にみせてあげるんだという美術館、博物館側の姿勢ではなく、見学者の立場を第一に考え開かれた社会勉強の場である施設でありたいと願っています。また、異文化にふれることにより、多少なりとも訪れた人たちが、感動し、理解しあえる機会ともなってくれればこんなにうれしいことはありません。私もせいいっぱいの誠意で迎え、日時をいとわず展示品の解説、タイ国の話をしてきました。わざわざ訪れて来てくださった見学者と話しを交わすことは、私の最大の楽しみでもあり、喜びです。

友の会だよりを発行することにより、館側の説明の言い足りぬところ、あるいは見学者からの要望もかなえることが出来るようになります。また、地域にねざした博物館ということで、特性をいかした催しや記事も考えています。

今までに類のない新しい形での、博物館と見学者とのコミュニケーション紙におおいに期待し、気持ちをひきしめているところでもあります。皆様のご協力、ご支援をお願いします。

土器

土器という言葉から古いイメージしか思い浮かばないが、新素材として注目を集めているニューセラミックスも、また、陶磁器も歴史をたどれば土器に到達する。

熱帯地方の多くの民族は、現在も土器を使っている。重く破損しやすく、其のうえ水が染み出る土器は、文明国に居住している我々からみれば、金属器、プラスチックなど大変便利で長期の使用に耐える物が有るのにと思われる。また、どこの家にも電気が通じ、蛇口を捻れば水が出る生活からは想像できないが、水が簡単に求めることの出来ないところでは、水の染みでることによって気化熱の作用により長く保存することができ、水が簡単に入手できない所や時代には、煮炊きもできる大変便利な道具であったろうし、現在も多く使用されている所以である。

土器の歴史は数万年前に遡るものと考えれられる。形の無い粘土と水を使って必要な器物を作ったことは、当時、人類始まって以来の革命的な発明であった。この発明が如何に偉大な発明であったかは、今日まで中断されることなく、且つ発展してきたことでも照明される。

土器の発明はいろいろ考えれられるが、雨上がりの水溜りにいつまでも水が残っている現象から粘土を発見、水と混じりあった粘土が太陽で石のように硬くなっていることを知り土器が発見されたのであろう。この方法で作られたものが干乾土器であり、現在も中東の砂漠地帯では干乾土器が多く作られている。その後、粘土質の土の上で火を燃やしその温度で粘土が岩石のように硬くなることを知り、野焼き土器が作られたと思われる。

以前、タイ中部にあるスコータイ遺跡のワットマハタート寺院(一三〜一五世紀)を訪れたときのことであるが境内に池を作るために掘った土が積まれていた。土のなかに中国染付の陶片をみつけ、手で取ろうとしたが硬く付着していてどうしても取れない。石でたたいてやっと取ったことがある。太陽熱で熱せられ想像以上に硬く岩石のようであった。

バンコクの東四〇キロの地点に、洋風の建物に良くマッチした池と芝生の大変美しいバンパイン離宮がある。十数年前ここを尋ねたときのこどであった。芝生の感触を期待して素足になり歩こうとしたが痛くてとても歩けない。見れば芝生の中に直径一センチぐらいの長さ三〜四センチの灰色をした巻き貝が一面に散らばっている。暫く観察していると、芝生の根元から上記とともに粘土があちこちから吹き出し瞬時に巻貝の形に固まってしまう。地下水を含んだ粘土が強い太陽に熱せられ膨張し地上に吹き出てくるのであった。手で折ろうとしたが中々折れない程の強度であった。古人はこのような自然現象からも土器を作るヒントを得たのであろう。

土器の発生は天然現象から人間が教えられて始まったと考えられる。従って、土器は一ケ所で考案されたものが広く各地に伝えられたのでなく、年代差はあれ多くの地で作られ、近くの集落に拡がっていったと考えるのが自然である。

メオ族の水パイプをたずねて

現地人が使用していたものであるが、なかなか分けてくれず、足繁く通ったことで思い出の菟集品である。

メオ族の水パイプとは長さ七十九センチ、直径六センチの竹筒に三分の一近く水をいれる。パイプの途中から出ている小さな筒にきざみ煙草をつめ火をつける。そして、かなりの肺活量で、煙を吸い上げる。すると水のなかを煙草のけむりが通り、太い竹筒の中に煙がたまる。

要するに、冷たい煙を吸うのであろうが、のみなれないせいかあまりおいしく感じはしなかった。しかし、三、四十年の使用暦としては堂々としており、年代物の風格のある水パイプである。バンコクから八〇〇キロの奥地のメオ族部落へ、それも最後の四キロぐらいは自動車が入れず、二時間程歩き、四回ほど通ったものである。

ついにメオ族の頑固親父さんがゆずってくれた時の値段が、日本円にして三〇〇円、これを手にいれるために使った費用が何十万円というのも、思い出にのこっていることのひとつである。

日本の多くのコレクターは、高価なものが、価値があると考え買っておけばもうかるだろうという金もうけの手段が多いが、私はそのものに魅力を感じるととことん追求するのである。そんな意味からも、この水パイプは印象ぶかい。